中国東北部、大連・旅順・丹東の旅
【大連空港に着いた時、外気温はマイナス1℃で寒く、夜間はマイナス15℃だ】
大連空港に着いてから、すぐ300Km近くも離れている、丹東市までバス移動
着いたのは夜の七時を回っており、鴨緑江の右岸側の朝鮮料理店に飛び込むと、
民族服を着た北朝鮮のお姉さんが迎えてくれた。
【鴨緑江の中国側は明るいが、北朝鮮側は真っ黒で電力不足を語っている。】
【朝鮮料理店で働く北朝鮮出稼ぎのお姉さんは、中国語も少ししか話せない。】
【翌日鴨緑江の上流で、川の真ん中が国境だが、向こう岸まで行ってみた。】
【米軍が破壊した橋は 断橋と呼ばれ観光化、隣に中朝友好橋がある】
【中朝友好橋を渡って 北朝鮮側から荷物が来るが、トラックはボロボロポだ】
その後丹東にて北朝鮮文化を十分堪能してから、大連にもどり旧満州鉄道本社、大
和旅館、戦後引き上げ船の埠頭などを見て、旅順へ行くのだがどこを見ても観光施
設は戦争とか戦いの跡であり、この地方が軍事地理的に重要だったことが伺われる
【旧満州鉄道本社ビルは保管状態も良く、今でも金融機関に使われていた。】
【戦後引き上げ船はこの埠頭から、京都府舞鶴まで多くの人を運んだ。】
【旅順にあるこの刑務所は、ロシア側から日本側と入れ替わり使われていた。】
【ロシア軍の重要要塞、東鶏冠山北堡塁では日本人数千人が犠牲になった。】